16尽くすことも、自己中になることも、両方やってそれらを越える
尽くすことも、自己中になることも、両方やってそれらを越える
知らず知らずのうちに、自分以外の誰かに尽くしすぎてしまったり、
自分を犠牲にされてはおりませんか?
今、いわゆる「自己愛」ブームで、
「自分を大切にしましょう」
とあちこちで言われていますが、
それはとっても大切なことです。
でも、
自分を大切にするってどういうこと?
って、思いますよね。
難しいですよね。
今日は、その中でも「自己犠牲」についてお話したいと思います。
そもそも、「自己犠牲」と「奉仕精神」は表裏一体です。
そのあんばいは難しい…
・人を助けたい
・役に立ちたい
そんな思いを持ちながら、
中には「自分を大切に」ということがかなりブームになっているので、
「人に役に立ちたい自分は偽善なんじゃないか、自分すら大切にできていないのに…」
とご自身を責められる方もいらっしゃいます。
また、逆に中毒のように人に尽くすことででないと自分の価値がないかのように、
自分を身を粉にして尽くしてしまう方もいらっしゃるかもしれません。
色々と人それぞれの背景を探ってみないと、
どこにポイントがあるかはわかりかねますが、
私が思うに、
私もそうだったのでよくわかるのですが、
「自分を犠牲にしてしまう」 → 「適切に使うと奉仕精神で愛を注ぐことができる」
だと思っています。
だからこそ、
苦しい自己犠牲はいつかそれをギブアップさせられる経験が来ると思っています。
そんなときはもしかしたら、
有名な心屋〇〇〇さんの
「ゲスになる」という考え方で、
普段言わないわがままを言ってみたりなど、やったことがないならそれを実行してみても
いいかもしれません。
自分の中で負の気持ちで気がよどんでしまっていると、
それは必ずどこかで噴出させられます。
なので、どこかでそれを噴出させることも必要になってくると思います。
私たちは、極端から極端を行ったり来たりしながら、
真ん中のちょうどいいを目指してバランスを取ります。
なので、両方やったら何かわかることがあるかもしれません。
そして、たくさん経験していくと、
「自己犠牲」でも「自己中」でもない、
そぎ落とされた「喜びを伴った奉仕」となるのです。